●作品が受けたときはともかく、受けなかったとき、「読者」に対して思うことは?


読者に対しては、まったくなし。
理解されなかった、受けなかったっていうのは、
やっぱり送り手側の問題。
強いて言えば、やっぱり、原作者の目を付けたジャンルから書き方、
それが全てスベったとしか取れないから、
やっぱり送り手側の問題だとしか取れないからね、俺は。
外れるってことは、その作品が失敗した、
強いて言えば、俺のある種の才能が伝わんなかったってことで、
それはもう自分が反省するしかないことだからなぁ。

だから、すぐ辞めるでしょ、俺。
楽しくないし。
あー、反応ないなぁと思ったら、1年で辞めたり、10回で辞めたり…。
だいたい4、5回でわかるじゃない。
その作品、新連載で起こして、5、6回見て、
あっ、だめだなぁと思って、一生懸命、手を変え品を変え、
あらゆる方向にジャブ出してみて、やってみて、
それで反応がないってなったときに、
あー、これはもう、完全に魚のいない所に釣り竿下ろしちゃったな
っていう感じだから…。
どんなにコマセまいたって魚のいないところだったら、
魚寄って来ないわけだからね。
だから、やっぱりそれはもう、
猟場っていうか、場所を間違えてるし、
多分、それは選択ミスっていうことで…、
それが3回か4回続くと、
それは猟場を間違えてたとかいう問題じゃあなくて、
やっぱり才能が終わったってことだねぇ。多分…。

だけど、漫画家を責めることはないな。
やっぱり、原作がある程度面白くて、しっかりしていれば…、
俺、今、絵描きさんて、
そんなに才能がない人と組むわけじゃないでしょ。
絶対、才能がある人と組ましてもらえるわけでしょ。
そうするとやっぱり、そういう漫画家さんと組んで外れてるわけだから、
やっぱり原作に問題があるってことだからなぁ。


●作品の中で、ストーリーやキャラクターを通して、政治的にとか社会的にとか、
 「読者」の意識を積極的に啓蒙しようと意図したことはありますか?


あんまりないなぁ。
啓蒙とかじゃなくて、
俺はこう思ってるけど、どうなんだろうってのは、
主人公に言わしたり、周りに言わしたりはするよね。
でもそれは、俺の一方的な投げかけであって、
読者がどういう反応をしようが、それはキミ達が考えてください
っていうことだから、それで強引に、
これが全てであるっていう形の書き方はしないし、
俺自身が、そんなに強烈にこうであるっていうのは、
『サンクチュアリ』のときにしたって、そんなに強烈に書いてないものね。
ただ、若い子達がちょっと目が死んでるってことで、
じゃあ、なんとかしなくちゃ、ぐらいのものだから。

多分、自分の何か感じているイライラや不満は、
その主人公達の台詞を借りて出てることは出てると思うけど、
まっ、でも、もしそういうところで作品が当たってるとしたら…、
作品が評価されたとしたら、そういうことも含めて、
同調を得たというか、わかってくれたんだろうな
っていうのはあるけど、
自分からこうであるっていうのは、あんまりないね。

意図的にはないね。
意図的に書くっていうのは、大●巨●が嫌いだってことくらいかな(笑)。


●「読者」からの反応で一番嬉しかった個人的なエピソードなどありましたら。

こっちは意図して書いてないでしょ。
それでも何かを感じ取ってくれて、真面目になりましたとか、
真剣に考えるようになりましたとか、
そういう何か、たとえば『北斗の拳』なんかだと、
残酷さのところじゃなくて、そうじゃなくてやっぱり…、
悲しい男達とか、そういうあたりの、
俺の作品の本当の書きたいところ、書いてあるところを、
読者が、ちゃんとくみ取ってくれて、
やっぱりそこで泣きましたとか、感動しましたとか、
一生懸命働かなきゃいけないと思いましたとか、
そういうのがあると、それがやっぱり一番嬉しいんじゃないかな。
どっかでこう、俺の作品の中に本当に込められている、
いいところっていうか、それを感じ取ってくれて…。
ズレたトコでさ、面白かったですって言われるより…、
そんなのは別にどうだっていいんだけど、
本当にこう、いいところを取ってくれて、あすこよかったですね
っていうのが一番嬉しいんじゃないかな。

時々…、友達が、グレてたヤツが真面目になりましたとか、
そういうのも時々あるわけ。
そういうのもなんかよかったなとかさ。
それはあるんじゃないかな。


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