●新人のころ、原作を書くうえで悩んだことは?


悩むって、やっぱり、それは(話が)出て来ないってーのは…。

やっぱり必死だったと思うよな…。
とにかく毎回事件みつけて、毎回オチつけて、ドーンと撃って…。
だから…週のうち5日ぐらいかかってんじゃない…1本。
2日ぐらい休みあって、渡して、すぐネーム切ってもらって…、
一話完結形式だったから、ネーム見ないまま、
もう次の…原作かかるっていう……。


●当時の打ち合わせはどんなふうにしてましたか?

当時、まだ原稿取りに来てもらえないからね、
『ドーベルマン刑事』が始まっても、まだ集英社に原稿運んでたから、
何年経ってだろう、初めて向こうが原稿取りに来てくれたのは…。
『ドーベルマン』が半分くらい終わったころかな。
やっと向こうが取りに来てくれるようになって、
おお、やっと作家になったかなって(笑)。

だって本当、新人のころは、(編集部)行ってずっと待ってるでしょ、
向こうの手が空くまで。
『ドーベルマン』が始まったころ持って行くと、
編集長が、おー、元気かって、だんだん声かけてくれるようになるでしょ。
それまでは喫茶店だったのが、
ちょっと飯でも食ってくかって、飯つくようになって、
『ドーベルマン』当たってしばらくすると、今度は、
おい、ちょっと飲み行くかって…。
いわゆる、コーヒー、飯、酒ってつながってくるわけじゃんか。
最後の最後、原稿取りに来てもらえるっていう(笑)。
原稿は最後だったな、取りに来てもらうっていうのは。

ジャンプの打ち合わせはすごいよ。
まず、シノプシスを5枚くらい書いて持っていくわけ。
それで、いいか、悪いか、チェック入れて、
これ、こーしたらどうだ、あーしたらどうだってやって、
それをOKが出たら、今度はそれを形にするっていう、
二段構えで作ってたから…、だから必ず週二回通ってたね。


●連載もって、きつかったことは?

そのころ、やっぱり一番きついときだった、肉体的に。
『ドーベルマン』出るまで。
あー、『ドーベルマン』出てからもか…、
やっぱり苦労してるわ、俺。

あるとき突然、自律神経失調症になっちゃって、
とにかく町歩けないんだよ。
道路がこう…ぐにゃっと曲がって、電柱もぐにゃっとなるの。
あれってかんじで、フワフワフワっとなって、
で、電車乗れない、喫茶店は入れない。
とにかく、いつも行く場所しか行けない。飲み屋が決まってる。
で、一人でいると情緒不安定になっちゃうっていう、
すごいきつい自律神経失調症になっちゃって、
それで、けっこう田舎に何回も帰って、
田舎の病院で検査受けたんだけど、結局治らない。

もう、薬で治すかどうかってときになって、
薬で治すのは嫌だから、精神科医にちょっと相談したのかな。
そしたら、その精神科医がかっこいいっていうか、すごい人で。
岡村さん、自律神経で死んだやついないからって、
倒れたかったら倒れちゃいなさい、これで死んだやついないって。
その一言ではっと治ったもん(笑)。
その段階で、あー死んだやついないんだ。
だから、倒れちゃいなさい。
今日本は安全だし、倒れたら誰か助けてくれるし、全然平気だから。
その瞬間になんだよーって言って、すっごい楽になったの。
だから、あの言葉がなかったら、まだ抱えてたと思う。

『ドーベルマン』始まってからも、しばらく戦ってたな。
外に出れないから、逆に家の中に閉じこもって
書いてるってのがよかったかな。

あと、電車で集英社行くのけっこうきつかったけど、
それは行く道わかっているから、知らないとこじゃないから行けたけど…。

でも、不思議なんだよね、
自律神経って酒飲むとコロッと治るの。
酒飲むと神経が麻痺するわけ…、正常に戻るっていうか。
だから、酒飲んでればいいわけ。
だから、アル中になるか、薬飲んで治すか(笑)。
悩んでたんだよ、そしたら医者の一言で、
なーんだって!
あれ、自分じゃ気が付かないけど、
そうとうプレッシャーだったんだろうね、今思うと。


●そのころの仕事のパターンは?

もう、夜中ずーっと。
夜中使わないことには…、だめだね。
夏場なんかクーラーないし。
だから、結局夜しか書けないわけ、扇風機しても。
だから、昼間は喫茶店入って涼しいところで。
喫茶店も知ってる喫茶店だと大丈夫なわけだから…。
だから、その喫茶店の人と仲間になって、そこで遊んでる分には
一切おかしくならないから、そこでネームやって、いろいろ考えて、
夜中に書いてたんだろうなあ。たいてい、夜書いてたよ。


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