●『北斗の拳』の連載が始まったころは?


1回目がね、とにかく膨大な量になってね、
45枚くらいになっちゃったのかな。
本来ならば31pって決まってたわけよ、巻頭カラーは。

それを当時の編集長の西村さんが、
これは、このまま全部やれってページくれたの、
それは特例だったの。
だから、それはものすごい助かってる。
あれ、読み切れなかったら意味なかったんだよ。
1回でポーンと45pかな、やってくれたんで、
それで人気がワーッと来たの。
いきなり2位ぐらいじゃないかな。
で、そのあとはずうっとトップだった気がする。
だから、10月くらいに連載始まって12月までに
50万部くらい伸びたんじゃない、ジャンプが…。

それはすごい作品だったと思うよ。
だって当時のジャンプは、ほら、
サンデーかマガジンなんかのラブコメ路線に食われて、
逆転現象が起きてた時期だったから…。


●この作品が当たったなって感触を得たのはいつごろですか?

1回目書いて、45枚全部1回目に載せてくれるって段階のときに、
ひよっとしたら、これ、化けるぞって感覚はあったのね。

(確信したのは?)

確信したのは…、
1回目がすごいことになったよって編集が言ったときに…、
2位になったよって言ったときに、
あー、これはいけるなって…。
でも、やっぱ2話目が…、
担当した編集もインタビューであちこちで言ってるけど、
だからこそ2話目がきつかったね。
2話目でこけたら終わりだって…。
せっかく1話目で食いついて来たのに。

2話目もね、俺、書き直したんだ、ずいぶん。
原先生も描き直しさせられたんじゃないかな。
だから、2話目がうまく描けて、
編集がこれでいいですって言って、
ポッと返って来たときに、よっしゃ!って感じで…、
2話目も最後にポンと決まったのよ。
そんときに…。


●作中の「おまえはもう死んでいる」という台詞は?

原先生の最初の読み切りのときにもうすでにあったの。
だから、よく人にすごい台詞考えましたねって言われるんだけど、
それはちょっと歯がゆいけれど、俺じゃないんだって…。

でも、その台詞は活かすようにしなくちゃいけないなって
思ってたからね、俺の中ではね。
あー、このいい台詞は、これは絶対活かそうって…、
だから、その台詞はトップシーンに使って、
この台詞があればいけるだろうってのがあって…。

だから、いろんなインタビューされるときに、
原先生にありがとうっていつもどっかで思ってますよって、
言ってますけどね。うん。
最初の読み切りのおいしいところは全部取ったよってね。


●実際に作品自体がすごい状況になったときの心境は?
(先生の経歴の中でも一番売れたメガヒットの状況)

なんだろうね…。
すごいことが起きたなって感じかな…。
今までの魚も結構大きい魚だったり、
そこそこの魚だったんだけど、
なんかとてつもない魚、食って来たぞって…(笑)
そういう感じだろうね。
今まで、魚釣りやってて、
結構な魚釣ってんじゃねえかって思ってたんだけど、
すごいのかかったっていう、そういう感じだろうね。
それは…、また少し(笑)増長が始まるなって…。

(実際には増長はしなかったんですか?)

ちょっとしたと思うよ、やっぱり(笑)。
結構したんじゃないかな。
どっかでやっぱり…、胸張ってたよね。
現実に今でも“『北斗の拳』の”って付ければ、
あぁって、みんな言うでしょ。ね。
そうすると、やっぱり今までの俺の代表作は何になっちゃうかって言うと、
何処行ったって、冠が“『北斗の拳』の武論尊”ってなるわけ。
『サンクチュアリ』とか、その他にもいい作品があるんだけど、
でも一般には…、
漫画ファンとかコアな人にはわかるけど、
漫画知らない人でも『北斗の拳』って言うと、
あぁって言うでしょ。
だから、あぁ、やっぱり俺の中の冠になってんだなぁ
ってのがあるよね。


●『北斗の拳』が大ヒットしたことによって、
  他の連載作品との向き合い方に変化はありましたか?


いや、ぜんぜん。
それは職人として、プロとして全然変わんないよね。
こっちがメイン、こっちがサブってないから。
書くものに対しては、うまく気分転換してやんなきゃいけないし、
だからこそ、逆に他の作品も手を抜けないよね。
これを書いているのにこっちはこんな下手なんだって
言われちゃうの嫌だから…。

(売れてる『北斗の拳』に集中して、他の連載をやめようとかは?)

思わなかったんだろうね、やってたんだから。
ここでがんばっておけばあとが楽になるから(笑)
ってのがあったんだろうね。
だから、他の出版社を切るわけにはいかないって…。
俺の貧乏性からするとね、そっちでもがんばっておかないと…、
今だからこそがんばっておかないとまずいんじゃないかなってのが、
どっかであったと思うし。

でも、よくやってたよね、あのころ。
たぶん、俺が能力的に一番開花してるっていうか、
一番アドレナリンが出て、一番仕事やったときじゃないかな。
一時相当書いてた、確かに。
でもまあ、そんなにクオリティー落ちてないだろうから…。

当時、まだ独身でしょ。
で、ここ(練馬高野台)の駅、何もないわけ。
そうすると食う物も大変でしょ。
それで新宿にわざわざ仕事部屋持って行って、
新宿だとどこでも24時間の店あるから、
そこでほとんど部屋の中で仕事やってたって雰囲気でね、
あのころはゴルフも何もしてなかった気がするな。
本当に仕事ばっかりだったね。

仕事…終わってすぐ近くに飲みに行く、
で、次の日仕事がなければ六本木まで出る。
でまた、帰って来てすぐ仕事やる。
で、夜に飲みに行く、もうその毎日。
だから、本当によく仕事やったと思うよ、今思うと。
そう…、よく飲んでよく仕事してた。

(飲みは基本なんですね)

いや、気分転換。
仕事終わったあと、飲まないと眠れないから。
頭が高揚しているから。
いい原稿渡して、原稿OKって編集が言ったときに、
よっしゃ!って言って…。
次の日また違う原稿書かなきゃいけないから、
気分転換しなきゃいけないから、
それはもう、ほとんど毎日のように飲んでたんじゃないかな。
で、朝12時くらいに起きて、近くの定食屋行って飯食って、
で、また仕事して、もうそのパターンね。


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