えー、僕は青年マンガ誌で編集を6年ほどやっておりまして、現在は連載中のマンガ家さんを一人担当しつつ、自分の雑誌の新人賞の総括(なんかエラそうですが、雑用とかメイン)をやっております。

 プロ野球やJリーグで言えば、スカウトやドラフトにあたるものですが、やっぱ新人作家さんがマンガ家になるには、持ち込みか、各雑誌の賞への応募しか道はないワケで、別にコネとかあってもしょうがないので、現役の作家さんの大部分がこの道を通ってきております。

 新人=雑誌のオリジナリティ(独自性)=金の卵、であると言っても過言ではありませんから、なぜ若僧の自分がこんな大任を拝しているかと今も疑問なんですが、まあ任された頃は、なんか編集部内でのほほ〜んとしてヒマそうだったのと(いまでも?)、あと今連載してる作家さんが新人賞出身だから、なんとなくやっちゃえば〜? みたいなノリだったと思います(実際のところはよく分かりませんが)。

 そこで、これをもし読んでいるであろう、未来の連載作家さんたちがいらっしゃれば、せっかく読んでくださっているのだから、ここでしか聞けない何か役に立ちそうな話を書こうと思いますので、ちょっと長いかもしれないですけど、ヒマなら読んでみてください。

 1.選考は秒殺で決まる!?

 ある有名レコード会社の新人発掘担当ディレクターの談話を読んだことがありますが、曰く「デモテープの最初のイントロ5秒でだいたいわかる」との事。
 いやあ、せっかく一生懸命作って応募したのにヒドイ話ですね〜。せめてサビまでは聞いておくれよ〜。でも、これマンガにも結構当てはまってしまいます。手抜いてないか、気持ち入っているか、独自性があるか、ないか、だいたい1〜3P目でわかっちゃうんですよね。だから、つかみが重要。まあ、あと最後までも重要ですが(なんのこっちゃ)。
 ちなみに扉絵はだいたい主人公と相場が決まっておりますが、そこで背景の画力、ペンタッチ、センス、魅力、ネタ、タイトルのネーミングセンス(知性)などを、瞬間的に把握します。だから扉絵は自分の名刺、いやそれ以上に自分の現在持ってる力が非常に問われていると言っても過言じゃないですね。

 2.ナニを描いたらいい?

 ある落語家の師匠が、新人の弟子を連れて寿司屋に行った時の事です。
 弟子はカウンターについてウキウキしていると、自分の前に出てくるのは、シャリのみで一向に寿司を食わせてもらえない。「あんまりですよぉ」と師匠に泣きつくと、「オメ―の噺はちっともネタがねえ〜ンだから、そいつで充分だぜ」と師匠。
 かくも厳しき師弟愛。ぷぷぷ。すいません、バレバレの話で(ぺコリ)。

 まあ、噺家でなくとも、腕一本・頭一つで読者を泣かせ、笑わせ、感動させなきゃ食っていけない商売ですから、ネタが大事なのは言うまでもナイッすね。
 んで、新人投稿作品で見たいものは、時代性かな! 大仰な言い方ですけど、ぶっちゃけ今ドキなセンス。絵でもテーマでも構図でも、「おおっ、コレは新しい感じだぁ〜」ってゆうのが新人の特権です。ガチでベテラン作家と勝負しても、だいたい勝てない(=連載をもぎ取る事)んで、もっと誰も描いてないマンガを一生懸命探すしかサバイバルできる道はないです。
 そんな事を、先日選考会に立ち合ってくれた、個性派の鬼才と呼ばれている先生が言ってました。

 ちなみに、ネタを探す時のいい方法は、王道のちょっとワキにそれたモノ、王道の裏など、読者が馴染みを持ちやすいニッチ(すきま)が有効だそうです。(『サルまん』より)。
 あとは、個人的に石田衣良氏の新作(IWGPシリーズ)で、「スカウトマンブルース」という風俗嬢のキャッチ男の話が最近ありましたが、なんか身近なウサン臭さと、ドキドキするテーマがあいまって、こういう読み切り作品がマンガでもあったら面白いな〜、と思いました。
 映画、小説、他人の会話(ファミレスやラーメン屋など)ネタは、ごろごろしてます。

 余談ですが、さきほどのベテランと勝負の話で思い出しましたが、自分が掲載を目指す雑誌の作品ひとつひとつを、自分でヤリ玉にあげて「この作品には勝てる」「この作家よりは自分は面白い自信がある」などと豪語してみるのも若者らしくて一興だと思います。かつて若い作家さんでそういう素敵な発言を、編集部の打ち合わせ席でこっそり僕としていた方が、いまではたまにウチの雑誌の表紙を飾ったりしてますから!

 3.載りやすいページ数とか?

 一般に受賞しても、すぐに掲載されるケース、されないケースがありますが、雑誌の代原(連載作家の作品が休載した時、替わりに載る原稿のこと)が大体16〜24ページくらいです。したがって雑誌の応募規定もだいたい、それに準じているところが多いですよね。(※私が所属する雑誌の新人賞はページ数無制限ですが)
 ちなみにかなり高い確率で載るのはギャグ(ショート、4コマ)などで雑誌の中でも比較的小回りが効くので、掲載されるチャンスは通常の読み切りに比べると高いです。
 ある程度技量のある人でなかなか目が出ない人は自分のポジションを1回コンバートしてみるのも一つの手ですね。

 4.初公開! 選考過程のイロハ

 他の雑誌のことは、よく分からないんで、自分のところの例にあげます。
(1) まずは応募作品が到着→リストアップ。だいたい60〜80本くらい。

(2)1次選考。ここではざっと○か×で鑑賞にたえうる作品かどうか、またちゃんと描いているかどうかなどを精鋭部隊が(若手とも言う)見ます。たまにわら半紙で描いてくる豪傑がいますが、たいていツマンないです。ここでは大体10〜20本くらいに絞られます。

(3)2次選考。編集部全員で精読。コメント・採点など付け、集計後に全体会議をして最終選考に残るものを決めます。
 ここで大体、各作品に担当編集者が付き、賞に入る可能性があることを電話等で伝えます。そうしないで、楽しみをあとまで取っておく人もいます(ルーズとも言う)。
 たまに応募原稿に電話番号が書いてないで四苦八苦するケースもあるようなので、注意が必要ですね。

(4) 審査員の作家さんに選考に残った原稿のコピーを配布。後日、編集部を交えて選考会議を開き、各賞の決定を見ます。
 ここでは、作品の質もさることながら、作家本人のやる気、キャラ、自誌との相性など総合的に意見がくみかわされます。編集部の評価と比較して、意外と大どんでん返しがおこったりすることもありますが、たいていは審査員の先生が気に入った作品が上位に落ちつくことが多いですね。

(5) 受賞発表→賞金振り込み→連載準備(ネーム修行時代)。
 賞は、あくまで入り口にすぎません。大賞取ったからといってデビューできる保証は、これっぽちもないので、そこんとこ注意が必要です。逆に入賞、佳作など、いま一歩届かなかった新人の方がデビューする確率が高いようですが、これは厳然たる事実です。
 たぶん推測するに未完成の分、伸びる可能性が一番高いからなんじゃないでしょうか。大賞の作品はそれが完成形だとすると、さらに上ゆく新作を書かねばならない自分自身のハードルが高くなっており、それで苦労するのかもしれません。
 どちらにせよ、担当者→編集部員→編集長の同意を、自分自身のネームで勝ち取りながら、連載に向けて邁進するしかありません。
 しかし、持ち込みと違って、応募のよいところは、同じ雑誌の編集部員の共感を得やすい点です。
 これは作家さんにはわかりづらい点ですが、小さい編集部では直接編集長と掲載か否かを決定しますが、ある程度の規模の部署では、周囲(先輩や同僚)の意見も、重要になってきます。それは肯定的な賛成意見であったり、修正を求める意見であったりと様々ですが同じ雑誌を作っていく過程においては、こういう民主的な意見も重要になることもあります。
 例えば先の新人賞の選考の場で、「担当になりたい!」という編集が多数いればその作家さんは、まぎれもなく人を惹き付ける才能があるという証拠でありますし、そこで仮に担当になれなかったとしても、周囲の編集は、その後も好意的な目で、彼を見守っていきます。それが、多かれ少なかれ連載獲得を目指す時に役に立ったりするのです。
 雑誌のボスの編集長といえども、全部自分で決定するわけでなく(まあ、だいたいするんですが)、担当者以外の意見から第三者はどう評価しているかを掲載の判断基準にすることもあるようです。

(番外編)欲望に忠実に!

 今をトキメク脚本家・クドカンがホームページの人生相談で、「俳優で成功する秘訣は?」との問いに「親が金持ち」とスッパリ言ってました。
古くは巨匠ビスコンティやルイ・マルのように(映画見てないけど)自分が貴族とか富豪の息子や娘なら、家計を気にせずマンガ創作に没頭できますね! 
 しかし大抵は一般的な家庭で育って、だいたいアル中かギャンブル好きかイメクラ好きで会社ぎらいな愛すべきダメ人間ばかり(すいません。徹夜でこの原稿書いているんで言葉が大変下品になっております)だと想像しますが、マンガ道を志すものはそれでいいんじゃないかと思います。
 しかし、ぼんやり生きる中でも、なにかひらめく瞬間を逃さずに腐りましょう。
 「なかなかデビューできねえなあ、ぜんぜん彼女できねえなあー、借金ばっかでヤべ〜、毎日やる気おきね〜」などなど悩みはつきものですが、そういった焦りや煩悩の種も 創作に役に立たないことは、一つもありません。運が良ければ(コレが大事なのですが)全部あとから生きてきます。無駄なことをいっぱいやって腐るのも、チーズとかワイン みたく発酵すれば人様のお役に立てるってもんですから(ちょっといい話?)た〜っぷり無茶して日々過ごしてください。(法にあまり触れない程度に)
 これをうまくするポイントは、バカみたいに生きながら、全部最終的にはマンガに集約させるんだ〜という、スケベな自意識をそこはかとなく、しかし常に持っていることじゃないでしょうか。しょせん知性がない人には創作はできません。毎日ビデオみてたり、AVみたり、ウイイレしたり、AVばかりみているとエッチな編集にしかなれませんから(照)。

【青年誌編集者S】


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