【地下沢中也先生への30の質問】
					
						- デビューはいつ頃ですか?
 
							1991年だと思う。23歳のとき 
							 
						 - デビュー作のタイトルは?
 
							『パパと踊ろう』です 
							 
						 - デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
 
							父と子のバカな家庭風景。ギャグです 
								 
							
						 - デビュー作でもっとも描きたかった事は?
 
							意地でも人を笑わせてやるっ! 他の誰より自分が日本一にっ! 
								とか思っていました。とっても生意気でした 
								 
							
						 - デビューした雑誌は?
 
							『ヤングマガジン』です 
							 
						 - どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
 
							ヤンマガGAG大賞の佳作作品が、そのままなんとなく連載に 
							 
						 - デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
 
							描き始めて1年ぐらいです。ラッキーというか、なめてますね。 
								でもギャグマンガの場合はそういうのって多いんじゃないかしら。 
								絵が稚拙でも笑えれば簡単に掲載されるし、 
								絶対数が少ないから重宝がられる。 
								狙うならまずギャグでデビューってのはどう? 
								うまく続けば絵は自然に上達するよ 
								 
							
						 - またそれは何作目ぐらいでしたか?
 
							2、3回読み切りを描いて新人雑誌に載ったような記憶はあります 
								 
							
						 - そのころの本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
 
							コンビニでバイトをしていました。おじいさんとふたりで深夜勤。 
								ネスカフェの好きなおじいさんでした 
								 
							
						 - そのころは本気でマンガ家を目指していましたか?
 
							目指しているというより、 
							”なっちゃうんだから仕方ないよな。あーあ” 
								と、いつも根拠のない自信に満ち溢れていました。 
								若さは盲目。恋も盲目。盲目ってすんごい武器です 
							 
						 - もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
 
							”だってマンガ家になっちゃうもんな。まわりがほっとかねーよ。あーあ” 
								って心から思ってたから不安も想像力もありゃしない。 
								若さってもう、武器というか凶器というか、狂気ですよね 
							 
						 - マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
 
							しばらくは内緒にしていました。生活にゆとりができてから打ち明けた。 
								一方的に打ち明けただけなので反応はおぼえてませんが、心配はされたように思う。 
								今も心配されてます。なんにせよ親は心配する生きものだからしょうがないよね 
							 
						 - 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
 
							吉田戦車さんに憧れていました 
								 
							
						 - そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
 
							同級生のお兄さんで高校の先輩ということもあり、 
								身近かで一番スゴイ人。特別な存在。今も 
							 
						 - デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
 
							まず借金の返済をしました。ご利用は計画的に 
							 
						 - デビューが決まった時の感想は?
 
							ドキドキ! 大丈夫かな? 毎週おもしろいこと思いつけるかな? 
								まあなんとかなるさ! うん! なるようになれっ! 
								でも怖いよー! お母ちゃーん! エイドリアーン!って感じ 
								 
							
						 - デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
 
							ヘタなのがわかってたから恥ずかしくて見ることすらしなかった。 
								「次はもっとおもしろいの描きますから許して! 許してーっ!」って思った。 
								かなり長い間ずっとそんなだった。許してーっ! エイジョリアーン! 
							 
						 - デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
 
							デビューの頃はギャグマンガって笑わせてなんぼだから、漫画家というよりお笑い芸人のような心持ちでいたのではなかったか? 
								マンガ描いてるというより”笑いを創ってる”とかほざいていたような、気がする。 
								えっらっそーにっ! 何様ランドかよっ! 
							 
						 - デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
 
							週に2日か3日ぐらいは会っていたような・・・わりと頻繁に会っていたような。 
								ただ飲みに行くだけとかも含めてずいぶん可愛がってもらいました。 
								記憶が違ってるだけかもしれないけど 
								 
							
						 - その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
 
							真剣に作っていくと誉めてくれたし笑って(たぶんオオゲサに)くれた。 
								単純ですがそれがとてもうれしかったです。 
								ちなみにギャグマンガの打ち合わせって、ふざけたり冗談言ったりがメインなので、まるで遊んでいるようなものです。 
							いちおう”真剣に遊んでる”わけだけど。 
								ただの遊びと違うのは、そのふざけたノリをカタチにして残すってところ。 
								ちょっとJAZZっぽいね。そしてすごくYAKUZAな仕事だね 
								 
							
						 - 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
 
							”ココ笑うとこ”ってのがうまく伝わらないとき、伝えるためには完成されたマンガのカタチにして読んでもらうのが一番いいんだけど、 まだ創ってる途中だから当然完成されたカタチにはなっていないわけで、ニュアンスとかフィーリングを言葉で補足説明すればするほど雰囲気が悪くなってどんどん笑いから遠ざかっていく、みたいなことがあったようななかったような・・・? 
								いま作ったかもしんない 
							 
						 - 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
 
							ネームができたらそのつど編集部へ見せに行ってたんじゃなかったかしら? 
								帰って直してまた行って。ヨシとなったら池袋へゴー! 
							 
						 - 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
 
							バブル期で世の中の景気もよかった。頻繁にキャバクラに行っていた。 
								頻繁にゲロ吐いてた 
							 
						 - デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
 
							同じ頃にマンガ家になった昔からの友達(彼が先にデビューして僕が真似した)がいました。 
								いまどうしているのかなあー。名前出していいのか? 出さない方がいいか? 
								特に語り合うってことはなかったけども、同業者が身近かにいるだけで気持ちは救われた 
							 
						 - デビューの頃、マンガ家として成長していくために特になにかした事、勉強した事などはありますか?
 
							「これはきっと役に立つぞ!」と特別にかまえてやることは、僕の場合はいつも役に立ちません。 
								気づいたらハマッてるとか、いつのまにか夢中になってるとか、ありきたりですが軽薄でミーハーな興味津々が忘れた頃に役に立つ。性格に乙女かオバサンが入っていると便利 
								 
							
						 - デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
 
							若いうちはギャグでいいけど、歳とったら大丈夫だろうか? 
								いずれどこかの段階で社会派劇画にスイッチしなければならないのだろうか? 
								だいいちこんなヤクザな仕事、いつまでも続けていけるものなのか? 
								結婚したい彼女ができたら相手の親にはなんて言う? 読ませるのか下ネタを? 
								親がマンガ家だと子どもが学校でいじめられないか? 
								娘が思春期を迎えるまでにはなんとか社会派劇画に・・・ 
								など、常にいろいろ悩んでいたとも言えるし、ひとつも悩んでなかったとも言える 
							 
						 - デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
 
							結構がんばって健気によくやってたと思う。偉い。100点 
							 
						 - またその理由は?
 
							過去だし、もう他人みたいなものだし。関係ないっす 
							 
						 - マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
 
							なる人はなるのだし、ならない人はならないのだし、やる気と努力があればなんとかなる、ってものではないと思う。 
								根性とか善良だとかもあんまり関係ないし、才能や運も必要なんだろう。 
								でもとにかくなる人はなるんだよね。それはどの世界でも一緒じゃないすか。 
								なせばなるではなく、なる人はなる! なってる人はなったからなったのだ! 
								なにそれっ!? あとは世間知らずで生意気で、想像力の絶対的な欠如と根拠のない自信に満ち溢れていればバッチシ! 
							 
						 - これからマンガ家を目指す人達になにか一言
 
							がんばれよ、キミはひとりぼっちだ。 
								ひとりぼっちはシンドイぜ。 
								でもがんばってる人はみんなひとりぼっちでシンドイんだと思うよ。 
								それと引き換えにおもしろいマンガが描けるんだもの。 
								たぶんね 
							
					  
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								 高円寺在住。1992年、週刊ヤングマガジン誌のGAG漫画大賞受賞作『パパと踊ろう』でデビュー。スケベで困り者の父と、良識派だが壊れるとスゴい息子、悪魔の知恵と鋭いセンスを持つ妹の三人家族を描いた物語は、“ニッポン中流家庭GAG"としてそのまま長期連載作となり、単行本11巻分にも及ぶスマッシュヒットに。1999年にはTBS深夜番組「ワンダフル」内でアニメ放送もされた。 
									 日常から非日常への狂気を思わせる緩やかな移行っぷりは他の追随を許さない。そのGAGは麻薬のように禁断症状があり、「なぜか今、無茶苦茶チカチュー漫画が読みてぇ!」と、カレーやラーメンのように読者の心を捕らえて放さないのである。 
									 その他、同誌で『新・パパと踊ろう』(全2巻)、『チューリップティーズ』(全1巻)、『ギンザ小学校』(全2巻)、『デカちゃん』を連載、またヤングマガジンアッパーズ誌では『毛つきフラン健DX』を発表。 
									 しかし、チカチューの才能はギャグだけにあらず。「COMIC CUE」に連載されている近作『兆 - Sign - 』は、神と人間の相克を描いた、凄みのあるハードSF。 
									 あらゆるデータを基に、恐ろしく精度の高い未来予知を行うロボット・ピッピ。「完璧な予知」が人類にもたらすものは福音か、それとも悪夢か? 1話完結の短編としても高い完成度を誇るが、さらに次の話との関わりは思わぬ展開を見せてゆき、一大叙事詩として、現在ではその世界でも屈指の正統派SF作品となっている。 
									 2005年初春には、これを大幅に加筆修正したものが『預言者ピッピ』というタイトルでイーストプレスより刊行される予定。 
									 シリアスものを描き続けて数年、そろそろ明るく楽しい子どもキャラクターも生み出したいと、ますます創作意欲に燃える日々を送る。 
								 
								
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