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	      |  | 航空自衛隊を退官した武論尊先生が、 本宮ひろし先生との縁が
 きっかけで飛び込んだのは、
 自衛隊とはまったく異質な漫画という世界。
 作家としての準備も心構えもなかった先生が、
 どうやって原作者としての第一歩を
 踏み出したのでしょうか。
 
 (取材日/2003.8.2 茨城県鹿嶋市、お気に入りの割烹「東川」にて)
 |  ●デビューは、いつごろ、どの雑誌で、どんな作品でしたか。また、デビューのきっかけは?
 
 デビューは(1972年の)『五郎君登場』って作品。
 読み切り31枚かな。
 女の子だったな、漫画家。ハセベ陽かな。
 (掲載誌は)少年ジャンプ。
 (内容は)弱い、いじめらっれ子の中学生が、
 ある瞬間、戦わなきゃって立ち上がる、
 まあ、昔の少年漫画にありがちなストーリーだったけど。
 
 きっかけはね…、(俺)本宮プロでゴロゴロゴロゴロしてたの。
 みんな、仕事やってんのに、俺とマネージャーと本宮の兄ちゃんと、
 いっつも3人でゴロゴロしてるわけだよ。
 ベタ塗れったってベタ塗れないし、何もできないわけ。
 
 で、西村(繁男)さんって本宮の担当が、
 これは本宮からちょっと離さなきゃいかんと。
 もう、精神衛生上よくないと。
 離すには、とりあえず仕事を与えなきゃいけないと…。
 それで、とりあえずデビューしないか、原作書かないかって言われて…。
 だけど(原作の)書き方知らないから、
 原稿用紙の(書き方知らないから)、大学ノートに書いて行ったんだよ。
 そしたら、それがそのまま面白いじゃないかってんで、
 それから西村さんに呼ばれるようになって、
 原稿用紙の書き方から…、マス目空けろとか、
 …いわゆる作文、小学校の教育?みたいな感じの…。
 そこで初めて教えてもらったの。
 
 まあ、恩人っちゃあ恩人なんだけど…、
 もっとも、西村さんに言わせれば、
 そんなんじゃない。本宮プロからお前を離さなきゃいけないって。
 厄介払いだよ(笑)。
 厄介払いで、デビューしたんだよ(笑)。
 
 あれが、そこそこベタも塗れて、
 そこそこ真面目に本宮プロで働いていたら、
 声はかかんなかったと思うんだけど(笑)。
 たまたま、1本目が面白いじゃない、できるなっていう感じで、
 じゃあ教えてやるって、原稿用紙の書き方から教えてもらったから…、
 それからだね。
 
 それでしばらくしたら、今度は読み切り?
 シリーズとかあるでしょ。当時、芸能界シリーズとかさ。
 『南沙織物語』とか、芸能界ネタの読み切りがあったの、企画もので。
 そういう読み切りをポコポコ書いてたのかな。
 まだ、本宮プロには所属しながらね…。
 
 【編集メモ】
 
 *『南沙織物語』1972(S47)年 23号 週刊少年ジャンプ 集英社 漫画/三晃たける
 
 
 ●『五郎君登場』は読者にどの程度受け入れられましたか?
 また先生ご自身の手応えは?
 
 (人気は)そんなによくない。読み切りだし。
 
 (手応えは)まだ全然わけわからん。
 とにかくラッキーで始まっちゃったみたいなところもあって、
 まだその時は本当にやっていけるのかってわかってないし…、
 だから、しばらく修行みたいな形で、読み切りとかをやったりしてたから。
 で、なんとか大丈夫だろうって、初めての連載が来たと思うんだよな。
 
 でも、それは俺の判断じゃなくて、編集部の判断だから。
 そのころはもう無我夢中だから、
 自分の作品がどうかってのは全然わかってないよね。
 
 
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